テイエム普段着

今日は休み。連続外出記録途絶えたり。




なんだかここ最近病気じみているわけだが、なんか最近の自分を見てると危なっかしくて見てられんのよね。昨日も飲みながら話したんだが、最近どうも時間が経つのが早い。これが「老い」というものだとしたら、この危なっかしさは焦りからも来ているんだろうな。それだけじゃないけど。と、思っていた。



囲碁を打つ人はわかると思うが、人は皆「棋風」というものを持っている。囲碁で言うと、棋風にその人の生き方みたいなものがなんとも見事に表現されたり(もちろん勝ち負けは別ね)、何かがあると棋風がガラっと変わったりする。浪人しただけで棋力が上がった人を自分を含めて何人か目にしたが、それも多分似たようなものなんだろう。


さっき少しヤフーで打っていたんだが、どうも棋風が変わったようだ。ヒカルの碁で言うと、佐為と打った後の塔矢行洋から打つ前の塔矢行洋に変わったような、「ちょっとタガがはずれてるっていうか」から「行くと時は行くけどおさえるときはおさえるし」に変わったような感覚。かといってバランスが物凄く良いわけでもなく、なんというか抑え過ぎている感じ。老いとはまた違うようだ。自分のことは自分が一番よくわかるはずなんだが、一番深い部分はやっぱり自分でもよくわからない。囲碁はなかなかいいバロメーターになってくれる。



もうすぐ恩師の命日、あれからもう数年が経とうとしている。昔はよく「落ち着け」と言われたものだが、今は「老いだなんて百年早い」なんて言われてしまいそうだ。毎年この時期は感傷に浸ることが多いんだが、今年は何だろうな、そのまま受け入れられそうな気がする。少しは落ち着きを手に入れた、ということなんだろうか。臆病なのも、頑固なのも、それはそれでいい気がする。今年の目標なんてのを作るのは嫌いなんだが、もう少し「風」を大切にしよう、そう思う。