夏の終わりに

ひぐらしが鳴く頃、まさにそんな季節。今日はやけに涼しい日だった。9月下旬並の気温らしいが、いやはや諏訪湖の畔で花火を見た後(http://d.hatena.ne.jp/taketaka/20060816)も確かこのくらいの涼しさだったような気がする。


その時知り合ったインドネシアの人から、今日メールが届いた。しかしそのアドレスに違和感・・・どうやらアドレスの小文字と大文字を間違えて登録していたらしい。道理でこちらからのメールが届かないわけだ。日本語(特に漢字)がまだ不得手らしく、メールの文章もまだたどたどしい。しかし、そのとてもまっすぐな文面に安堵感のようなものを覚えてしまう自分がいる。


爆笑問題の田中(太田だっけ?)が総理大臣に扮する番組で、「伝えたいことはなかなか伝わらないもんだ」なんてことを言っていたそうだ。表情や身振りを交えたやりとりを経てもまだ伝わらないものなんだ、だから(中略)携帯メールは禁止!と主張していたらしい。


伝えたいことは、なかなか伝わらない。今までに嫌というほど実感してきた。そして、それは(言葉であれ感情であれ価値観であれ)相手と共有するものが少ない時によく起こる。そんな時、大抵は言葉で説明しようとしてしまう。別にこれが悪いと言うわけでもないし、疑問に対してしっかりと言葉で説明するのはいい事だと思う。が、言葉を使えば使うほど、その齟齬がどんどん広がっていく気がしてしまうのだ。


言葉の遣い方云々もあるのかもしれないが、そもそも言葉に頼りすぎたのだろう。多くを語るのはあまり良くないことなのかもしれない。と、時々そう感じる。なんてったって言葉には限界がある。たとえば好意を伝えるときは短く!なんてのも、きっとそういう理由なんだろうさ。言霊なんて言葉があるが、言葉に魂なんてものはない。魂があるとすれば、それは言葉を発する人間の身体にある。「言ってわからん奴には、身をもって教えるしかない」というが、それもまた正しいのだ。





・・・とまぁ飲みながら色々考えつつ無くなったつまみを補充しに台所へ向かおうとしたら、(今朝に引き続き)右足の小指を思い切り壁にぶつけてしまった。


「つっ!」


床に倒れ込み悶えながら、経験から学べぬ自らの愚かさを身に沁みて感じた、そんな夏の終わりの1日であった。